マイケルの思い出

2021年6月25日、ポニーのマイケルが天国に旅立ちました。
27年前、4歳で北海道からやってきたマイケル。
レッスンはもちろん、ポニー競馬、障害飛越、ジムカーナ、何でもこなせるスーパーポニーで、子供たちに大人気でした。
そんなマイケルなので、みなさんとの思い出もたくさん!
とっておきの写真や、おとぼけなオフショットから真剣な表情、可愛らしい表情、ちょっとしたエピソードを集めました。
マイケルに想いをはせながらご覧ください。

あずみのホースショーでポニー競馬にマイケルと出た時、マイケルがスタートのテープを飛び越えてスタートした時がありました。
突然のことで、私はマイケルについていけず、一瞬首に上半身が乗ってしまいました。
そうしたらマイケルが よこらっしょ、ちゃんと乗ってついてこいよっという感じで首をグイッとあげてくれて、体を元の位置に戻すことができ、その後は快走!!
1位になることができました。
マイケルからしたら邪魔で首をあげただけかもしれないけど、私はずーっと心に残ってるエピソードです。
背が大きくなってマイケルに乗れなくなり、レオを迎え入れ、そこからどんどん乗馬が楽しくて今に繋がっています。
マイケルがいなかったら、今の私はないというくらい本当に本当に存在の大きな子です。

【キャンプOG Eさんより】

マイケルと当時4年生のEさん

小学生の時に、5級か4級の試験(部班)をマイケルで受けました。
何故かその日はすごい物見スイッチがはいっていて、本番前の練習中から第1馬場ピロティー前の直線で内側に避けて猛ダッシュ! ピロティーには誰もいないしぴらぴらする様なものも全くない状況…
私はわけも分からず走られる恐怖を抱えたまま試験に挑みましたが、試験中も馬場を1周するたびに部班の列からシャーッと居なくなる私とマイケル。
私は、怖いし悔しいし小雨降ってるしメンタルはボロボロで「もうやだ!!これは絶対受からない!!」と悔しくて号泣しながら、びちょびちょの馬場に落馬したくない一心でマイケルの首にしがみついて部班の列に戻って…を繰り返していました。
絶対に試験は落ちた…と思っていたのですが、意地でも部班の列に戻り続けた気合いを評価されたのか結果は合格!
その時に撮ってもらった写真は、私の号泣顔と、何も無いピロティーに怯えるマイケルの顔が傑作の1枚でした(笑)
今では笑い話のちょっとトラウマエピソードで、多分一生忘れない(笑)
ベテランで頼もしくてイケメンで優しくておちゃめでちょっとビビりで、みんなに愛されていたマイケルが大好きでした。
本当に今までありがとう そしてお疲れ様でした。天国でみんなとゆっくり過ごしてね。

【キャンプOG Mさんより】

マイケルと当時1年生のMさん

初めてのポニキャンで出会った時からずぅーっとマイケルが大好きで、キャンプの終わりにサヨナラするのが悲しくて、いつもマイケルの厩舎に隠れて泣いてたのを思い出します。
ジムカーナ、障害、ポニー競馬…
競技の楽しさを教えてくれた大切なパートナーです。
大きくなっても、自由乗馬はやっぱりマイケルでした(笑)
これからも、ずっとみんなのこと見守っていてね。本当に、いっぱい、いっぱい、ありがとう。
マイケルも、ポニキャンで出会った仲間達も、ずっと心の支えになっています。きっと、これからもずうーっと。

【キャンプOB Sくんのお母さまより】

マイケルと当時4年生のSくん

彼の名前の由来は“マイケル・ジャクソン”。
来たばかりの頃、馬小屋の中で前肢をスライドさせながらゆっくり後退する姿がムーンウォークにそっくりで、酋長(初代日トレオーナー)がキャンプ生の応募してきた名前の中から選んでマイケルと名付けられました。
そのムーンウォークにすっかり怖気づいてしまったのが、当時ポニーのボスだったツリー。馬小屋の中でマイケルが摺り足でバックしてくると、小屋から飛び出しそうになっていましたっけ。ただ、ツリーの相棒のビレッジはマイケルに強く、まるでジャンケンのように片方に強くて片方に弱い、という関係ができていました。
今から考えると、これは新入りだったマイケルの必死の防衛手段だったのですね。

しばらくすると、マイケルはその体型の良さと乗りやすさ、見た目の良さと賢さで、だれからも愛されるポニーになりました。
70歳近くになった酋長の最後の愛馬でもあり、トレッキングではいつも先頭をさっそうと歩いていました。
キャンプのハイライト、ポニー競馬では、彼ほど頼もしいポニーはいませんでした。一体何人のキャンプ生を乗せて勝利をもたらしたことでしょう。対外試合の長野ホースショーでも、自分より大きなポニーを打ち負かしていましたね。 ほかにもすごいことがたくさんのマイケルでしたが、その一つで特筆すべきはジャンプ力のすごさ!
体高が110p程度しかないのにもかかわらず、背の高さ並みの1メートルの障害をも飛越することができました。 また、ときどきおこなうポニー全頭追い運動では、マイケルはいつも先頭に立ち、他のポニーが疲れてサボり始めても、常に最初から最後まで走り続けていました。
常に自らを鍛える、まさにアスリート魂を持ったポニーでした。

マイケルのジャンプは凄かった!

30歳を目前に控えた2年前、突如体が衰え、馬房で立てなくなることもあり、「もう危ないかもしれない」と思われました。
体はどんどんやせ細っていきましたが、それでも人一倍食べ、扉を開けると自らしっかりと歩き、厳しい冬も乗り越えてきました。

最後の日、朝からおなかが痛いようで起き上がれず、スタッフに助けてもらってようやく立ち上がりました。そんな状態にもかかわらず、森の中の第3馬場まで何度も行き、夕方のスポ少レッスンの時には、第1馬場まで行って他のポニーと一緒に歩いたのです!
かつての日トレのレジェンドホース、グリングラスやジューンもそうだったように、死期を悟り、懐かしい場所と馬たちにあいさつしに行ったのでしょう。
その夜、マイケルは静かに息を引き取りました。

翌朝、調教のために馬に乗って第3馬場に行くと、小さな足跡が馬場に残っていました。その足跡は、蹄跡、斜めに手前をかえのラインを律儀にたどっていました。
間違いなく、マイケルの足跡でした。
この足跡があと少しで消えてしまうと思った時、マイケルを失ったことを実感し、とても寂しい気持ちになりました。

永見一平

隠居生活では自由にお散歩していました。

今までありがとう、みんなあなたが大好きです!