マイケル逝く

2021.6.28

マイケル

6月25日、ポニーのマイケルが天国に召されました。
31歳でした。
27年前、4歳で北海道からやってきて、25年間ずうっと日トレで活躍してきてくれたスーパーポニーでした。

彼の名前の由来は“マイケル・ジャクソン”。
来たばかりの頃、馬小屋の中で前肢をスライドさせながらゆっくり後退する姿がムーンウォークにそっくりで、酋長(初代日トレオーナー)がキャンプ生の応募してきた名前の中から選んでマイケルと名付けられました。
そのムーンウォークにすっかり怖気づいてしまったのが、当時ポニーのボスだったツリー。馬小屋の中でマイケルが摺り足でバックしてくると、小屋から飛び出しそうになっていましたっけ。ただ、ツリーの相棒のビレッジはマイケルに強く、まるでジャンケンのように片方に強くて片方に弱い、という関係ができていました。
今から考えると、これは新入りだったマイケルの必死の防衛手段だったのですね。

しばらくすると、マイケルはその体型の良さと乗りやすさ、見た目の良さと賢さで、だれからも愛されるポニーになりました。
70歳近くになった酋長の最後の愛馬でもあり、トレッキングではいつも先頭をさっそうと歩いていました。
キャンプのハイライト、ポニー競馬では、彼ほど頼もしいポニーはいませんでした。一体何人のキャンプ生を乗せて勝利をもたらしたことでしょう。対外試合の長野ホースショーでも、自分より大きなポニーを打ち負かしていましたね。
ほかにもすごいことがたくさんのマイケルでしたが、その一つで特筆すべきはジャンプ力のすごさ!
体高が110p程度しかないのにもかかわらず、背の高さ並みの1メートルの障害をも飛越することができました。 また、ときどきおこなうポニー全頭追い運動では、マイケルはいつも先頭に立ち、他のポニーが疲れてサボり始めても、常に最初から最後まで走り続けていました。
常に自らを鍛える、まさにアスリート魂を持ったポニーでした。

30歳を目前に控えた2年前、突如体が衰え、馬房で立てなくなることもあり、「もう危ないかもしれない」と思われました。
体はどんどんやせ細っていきましたが、それでも人一倍食べ、扉を開けると自らしっかりと歩き、厳しい冬も乗り越えてきました。

最後の日、朝からおなかが痛いようで起き上がれず、スタッフに助けてもらってようやく立ち上がりました。 そんな状態にもかかわらず、森の中の第3馬場まで何度も行き、夕方のスポ少レッスンの時には、第1馬場まで行って他のポニーと一緒に歩いたのです!
かつての日トレのレジェンドホース、グリングラスやジューンもそうだったように、死期を悟り、懐かしい場所と馬たちにあいさつしに行ったのでしょう。
その夜、マイケルは静かに息を引き取りました。

翌朝、調教のために馬に乗って第3馬場に行くと、小さな足跡が馬場に残っていました。その足跡は、蹄跡、斜めに手前をかえのラインを律儀にたどっていました。
間違いなく、マイケルの足跡でした。
この足跡があと少しで消えてしまうと思った時、マイケルを失ったことを実感し、とても寂しい気持ちになりました。

マイケルの写真、思い出募集します

マイケルを愛してくれたみなさんから、彼の写真(マイケルと一緒に写っていても、マイケルだけでもOKです)を募集します。
思い出などもありましたら教えてください。
マイケルの思い出ウェブページを作る予定ですので、そちらで写真や文章を使わせていただくことがありますので、ご了承いただける方のみお送りください。

締め切り7月16日(金)

募集方法日本トレッキングにメールを送っていただくか、facebook、instagramをご利用の方は、メッセージから送ってください。紙焼きの写真はスマホなどで撮ったものでOKです。
かわいいマイケル、かっこいいマイケル、すてきなマイケル、おもしろいマイケルなどなど、お待ちしています。